今日はD校の講師ミーティング。
学生側から見ると、曜日ごとに違う複数の先生方に教えてもらう事になるけど、講師は入学式・卒業式の時と年度初めの講師ミーティング位でしか、なかなか他の先生方にお逢いする機会がありません。
今回は卒業式以来なので、さほど間は空いていませんが、こういう機会に年度通しての授業の方向性の確認作業などを行うことになります。
そういえば、ちょっと久々に池袋に出たことになるんですが、駅構内に出来た長蛇の列を見て、ああ、年度始まりの風物、新年度頭の通学定期購入の時期か…、とふと自分の学生の頃を思い出しました。
自分は今年度は少なくとも週に三回は池袋に出ることになっています。(複数の学校への出講なので、池袋は一つは目的地ですが、もうひとつは経由地になります。)
池袋へは通勤定期だと12,740円、一ヶ月に19回以上利用する計算なら定期を買ったほうがいいことになりますが、週に三回だと定期券買ったらめちゃくちゃ高く付いてしまいます(^_^;)
ちなみに同区間の通学定期は3,690円。学割の何と安いことか…。
そういえば自分が大学を休学していた時のこと、国立大学だったので休学期間中は学費がかかりませんでした。その一方で一応在籍していることになるので、ちゃんと学生証は発行されているし、学割も効きました。色々と助けていただきました。
これは学生課や担当教授に説明を受けていたことだったんですが、なんだか今にして思えば、ちょっとずるいような後ろめたいような申し訳ないような…。
一方私立大学は場所によって違うようですが、休学中でも在籍するために「休学費」というのがかかるみたいですね。もし自分が国立大学じゃなかったら、休学という方法を取らなかったかもしれません。
話が前後しますが、なぜ大学を休学したかを少しお話します。
自分は東京都調布市にある、理系の某国立大学に通っていました。
地方から東京に上京してまで通った就職率も高い大学だったのに、なぜ休学…そして結果的に退学したかと言うと、在学中に漫画家としてプロデビューしたからなんです。(ちなみに、私はいわゆる大手出版社の賞レースでのデビューではなく、アダルト系出版社への持込によるデビューになります。)
在学中にデビュー出来た後も割りと順調に仕事をいただけていました。プロですので必然的に締め切りを最優先することになります。その結果、理系大学では一番重要とも言える実験実習を休んだことで、単位を落としてしまいました。
二年時から始まる実験実習は、相応の理由もなく一回でも出席がなかった場合は「不可」が付くと予め通告されていました。週に一回の実験の授業は、あらかじめ「実験計画書」を作り「理論上得られる予測データ」を用意することから始まります。実験当日は丸一日かけて「実験計画書」に従って「実験」を行い、得られた「実験データ」と「予測データ」を照らし合わせて、それらを元に「実験レポート」を提出しなければいけません。これが実にハードでした。
「予測データ」と「実験データ」が大幅に狂った場合は、「狂った原因」を追求しなければならないし、誤差が出た場合は、計測機器のバラつきの範囲内かどうかの検証も必要だったりします。先輩から受け継がれている伝説の実験レポートは助かりましたが、それでも毎年条件や基準となる数値が変わっているので、せいぜい「実験計画書」にしか通用せず、「実験レポート」は参考程度にしかな利ませんでした。
それなりに頑張って実験にはでていたんですが、確か晩秋頃だったかな?とある原稿がギリギリまでもつれ込み、締め切りと実験日がほぼ重なってしまったことがありました。
その実験の「計画書」が用意できず…「計画書」がないから「実験」には参加できず…実験していないから当然「レポート」も書けず…という状態で、結果を見るまでもなく「不可」となったのでした。(再実験の予備日はありましたが、確かそれも参加できる時間が取れませんでした…。)
他にも幾つか不可になった単位もありましたが、学年が進んでも空き時間を見て再履修できるものはなんとかなりますが、実験だけはそうも言っていられません。実験を再履修したことで三年の必須科目を落とさざるを得なくなりました。「二年次終了審査」にひっかかってしまったため、自動的に三年目の終了段階での「卒検着手条件」を満たさないことが早々に確定…つまり少なくとも四年では卒業不可能となり、最低でも五年以上かかることが確定してしまったのです。
この段階で大学をこれからどうするかという岐路に立たされました。
仕事をやりなが落とした実験実習の単位を取得して、他の単位も取りながら五年で卒業出来るのか?いやおそらくどちらも達成できないかもしれない…。そう思った自分は「休学」という方法を取ったのです。
両親に「もし二年で漫画家として独り立ち出来るようになったら大学を自主退学。もし漫画家としてダメだったら復学してきっちり大学卒業する。」という条件を提示して「二年間猶予=二年間休学」をすることにしました。当時は休学することの出来る最長期間は二年間だったからだと記憶しています。(調べてみたら今は四年みたいですね。昔からそうだったのかも知れませんが…)
結果的には、当時にしては割の良かった時給1000円超えの夜間バイト(大学の傍にあった映画のフィルムの現像所の検査部門)に入って生活費をまかないつつも、複数の連載と複数の単行本発刊を果たすことが出来たので、大学は自主退学しました。
退学届に担当の教授からのハンコをもらうときには、理系大学の中退理由としてはちょっと意外な理由に対して教授に驚かれましたが、「履歴書を書く機会があったら、学歴欄は『高卒』ではなく「大学自主中退」と書きなさい」とアドバイスを頂きました。そして「自主退学だから、3年次から復学できるんだから、将来もし学びたいと思ったら復学も考えなさい」とも…。
でも今となっては、大学一二年時に単位を取った代数や幾何、電子回路論や電子計算機実習や通信実技などなど…今となってはすっかり忘れているので、再度復学するためには高校数学・物理からやり直さなきゃついていけませんです(^_^;)。。。。www
今現在、当時の経験が全く役に立っていないわけではありません。
一見路線が異なる道をふらふらしているようでいながらも、すべての事象は絡み合い繋がっています。中学一年担任の先生の影響を受けてハマった電子・電子関係への興味から始まった理系方面への進路と、小学校高学年~中学頃に芽生えた漫画を描くという方面への興味が混ざり合った結果、今の自分が形成されています。
新しい年度が始まり、自分が受け持つ学校でも、「漫画家」を目指して入学してくる若者がやってきます。どういう方向に進むにしても、二年間の学校生活で将来のビジョンがある程度形付けられるのは間違いありません。
それ故に毎年のことなど漫然と構えるのではなく、学生側からするとたった一回しか相見えない二年間の専門学校在籍の期間なので、教える側も真剣に立ち向かっていかなければ、と改めて気持ちを引き締めねばと思うのです。
ちょっと長々と自分語りをしてしまいました(^_^;)。。