父が撮った昔の写真の中に、自分と兄が犬と遊んでいる物がありました。
幼稚園に入る前の事なのに、自分の記憶の中にその犬はしっかりと存在していて、名前までも覚えています。
名前は「ビービー」。
母の話によると自分がつけた名前らしいです。幼児特有の繰り替えし言葉のようですがどういう意図だったのかはさすがにわかりません。
「ビービー」は茶色っぽくて大きかったということと、いつの間にか家に住み着いて台所の土間で寝ていたこと、家の前の路地でよく追っかけ越して遊んでいたこと、そしていつの間にか消えていったことを覚えています。
母曰く、もともと細目の犬だったけど、何かの病気になったのか体調が悪くなり痩せてきて、ある日いなくなってしまったとの事。今となっては真相はわかりません。
当時は「野犬」もいた時代で、犬を半分放し飼いしている家も結構多く、半野良の犬も結構いたようで、「ビービー」もわりとそういう生活をしていたようです。もしかしたら、自分の家以外にも可愛がっている家があったかもしれません。
ただ、幼かった自分の中で断片的ながらしっかりと「ビービー」の事が記憶されているということは、自分の中で「ビービー」は大事な家族の一員で、一緒にいた事時が楽しかったという証なんだろうなと思っています。
自分の中では全身茶色っぽくて大きかったという記憶でしたが、残っていた写真は少し違っていました。首周りと尻尾と四足が白かったです。自分と兄の当時の年齢からすると、確かに子供にとっては十分大きかったんでしょうね。写真を見ると、10キロ前後の典型的な雑種っぽいです。そしてこう見ると、確かにそれほどがっしりした太さではありません。
でも結構いい体型した立派な雄犬でした。今にして思うと結構好みの顔立ちの犬です。
我が家(実家)では、このあと結局犬を飼うことはありませんでした。
転勤族で借家族だったので飼いたくても飼えないから、と言うのもありましたが、母曰く居なくなるのが寂しいから…と言っていましたが、その気持はたしかにわかります。
今我が家では犬と猫を飼っています。今飼っている子は犬も猫も二代目になります。
妻も幼いころ犬を飼っていたそうです。結婚時になんとなくいつかは犬を飼いたいとお互いに思っていましたが、気がつけば常に何か動物がいる家になりました。
飼っていた子が居なくなる寂しさ・悲しみはたしかに辛いですが、それ以上に共に過ごした時間が、他の何者にも代え難い喜びになっています。
いつの間にか家族と共に過ごしていた「ビービー」。いつの間にか去っていったけど、一緒に過ごした記憶は残してくれました。
きっと、彼にとっても自分たちと過ごした時間を幸せだと感じていた…と信じたいです。